2人は同小学校の卒業生で、創立100周年の記念式に招待され、17日に蔚山を訪れた。校内を見てまわった2人は、子どものように笑ったりあちらこちらを指差し、昔に思いをはせた。南さんは「校舎も運動場もすべてが変わりました。変わってないのは、美しいということだけ」だと話し、そっと目を閉じた。
1930年代半ばから韓国が日本による植民地支配から解放された1945年直前まで、2人はこの小学校に通った。当時の生徒数は、韓国人と日本人を合わせ140人程度。1945年の韓国独立で、130人の日本人の児童は、岡山県備前市に帰った。いまも同市に暮らす存命者は30人ほどで、今回も同行したがっていたが、健康の問題でかなわなかったと南さん。「日本に戻ったら、学校の様子を伝えたい」と話した。また2人は、日本政府は韓国での学歴を認めていないと残念そうに語った。
同校100周年記念事業会は2人に、記念石碑に名前を刻むという、意味あるプレゼントを贈った。知らされていなかった2人は、「本当にびっくりしました。感激です」と、自分たちの名前を見つめ喜んだ。
母校の訪問は、2人にとって今回が最後となりそうだ。高齢による体調の問題から、また韓国を訪れる機会はないだろうと話す。「わたしたちがいなくなっても、方魚津と備前市の友好的な交流が続いてほしいです」。
2人は100周年記念式に出席した後、蔚山市の現代重工業と現代自動車、ソウル市の昌徳宮などを見学し、19日に帰国する予定だ。
聯合ニュース