[kjtimes=ジョン・ビョンチョル代表] 最近、大企業の海外営業部門に勤務するA氏はため息の日々を過ごしているという。昨年3月、日本の企業とMOUを結んだが、今まで本契約の締結ができずにいるからである。 本契約は去っておき、会社で意欲的に推進していた日本事業自体が歯止めかからないだろうかと気をもんでいる。 この企業が日本の企業と、特定の製品を置いて業務交流を始めてから1年6ヶ月目だ。長い言えば長く、短いといえば短い期間だが、日本にすでに進出したり進出予定の企業に "1年6ヶ月の間、日本としたのはMOU契約書一枚だけだ"と言えば、おそらく笑うだろう。彼らはMOUを締結しただけでも、一歩進んだものと評価することができる。 一般的に、日本との取引をするためには歳月を堪えなければならないし、ここには忍耐力と緻密さを武器に武装しなければならない。国内企業が日本にいくら優秀な先端製品を披露しても、日本のバイヤーは、一気にドアを開け好感を持って積極的に動かない。 国内企業は、日本人と会話の時に勘違いすることが多い。日本のバイヤーは、特定の製品について説明を聞いた後、一様に吐き出す言葉がある。それは "分かりました"(了解しました)である。 これは、製品の説明に対して分かったという意味でそれ以上、それ以下でもない。それでも国内企業は、まるで日本が製品に大きな好感を見せて、すぐに契約を締結するの
"強い日本"を叫ぶ安倍晋三、自民党総裁が再執権に成功した。保守的な色彩の政策公約を鮮明にした安倍の自民党内閣が果たしてどのような外交と安全保障政策を展開するか、韓国がどのように対処すべきかをめぐり触覚が逆立っ立てられている。 安倍前首相が率いる自民党が選挙の過程で提示した自民党の政策公約には、いくつかの右傾化の公約が含まれている。彼が首相に就任すると、その公約が多く実現される可能性が高いので、韓国との摩擦が避けられないものと見られる。 安倍は日本の代表的な右翼である。 2006年から2007年まで首相を務めた当時、靖国神社参拝をしなかったことが "痛恨"だと話していた首相が彼だった。 彼は憲法を改正して、自衛隊を国防軍に変更し、集団的自衛権を確保すると公約した。 教科書検定基準を変えて、アジア周辺国への配慮を盛り込んだ "近隣諸国条項"を変更すると約束した。 日本政府が直接に調査を実施し、従軍慰安婦強制動員を認めた河野談話など過去のも再調査するという。 島根県条例で定め2月22日、 "竹島(独島の日本式名)の日" を政府行事に昇格させるという方針も明らかにした。中国と領土紛争を起こしている尖閣諸島(中国名釣魚島)に公務員を常駐させて周辺漁業環境を整備すると誓った。 安倍公約集は、"日本を取り戻す"と述べたが、彼の公約の一つ一つは、誰が見ても、日本の極右勢力が主張すると変わらない。
[kjtimes=ジョン・ビョンチョル代表] 連日厳しい、厳しい寒さが続いている。このように寒いと、労働者と農民などの疎外階層の痛みを撫でると言った統合進歩党のイ・ジョンヒ前大統領候補の財産がふと思い浮かぶ。 寒さとイ前候補の財産がどんな関係なのか反問することができるが、二極化が顕著な韓国社会の特性上、その人の財産を見れば暖かい冬を過ごすのか、大変な冬を過ごしているか計ることができるからである。 イ前候補が先月、中央選挙管理委員会にお届けした財産の内訳を調べて見た。 "京畿道果川市グァチョン洞にある多世代住宅(2億8600万ウォン)、ソウル冠岳区書林棟(102㎡)の傳貰圏(5000万ウォン)、配偶者名義の江西区禾谷洞近隣生活施設(敷地133㎡、建物255㎡・1億7000万ウォン)、預金は1億2204万ウォン。本人が7612万ウォン、配偶者が4591万ウォン " 彼女の財産総額が5億6千万ウォンだ。イ前候補所有ではないが、法務法人所有の夫乗用車が中型セダン、ジェネシスだ。 彼女が選挙管理委員会に財産を申告してから一ヶ月が過ぎた。 現在、彼女の財産が "プラス"になったか"マイナス"なったのかは分からない。 彼女の財産の内訳を見て見ると、二つのことに興味が集まっている。この夫婦は両方とも弁護士なのに財産総額がやっと5億6千万ウォンだけだ。 弁護士夫婦が財産を増やすと決心したら、いくらで
「韓国専門家である民主党の市村浩一郎議員」 [kjtimes =ジョン・ビョンチョル代表] 去る16日に行われた日本の衆議院選挙で彼が当選したのか気になった。 日本で経営の神と呼ばれる松下幸之助会長が設立した「松下政経塾」の9期生である彼は、日本の代表的な "韓国通"である。 韓国と日本間の懸案が生じれば、万事さておき韓国で走ったりした。彼は韓国の政界、経済界などさまざまな分野に布陣している知人たちと会って懸案を解こうしている。 彼が日本の民主党の市村浩一郎衆議院議員である。残念ながら彼は今回の選挙で落選した。日本歴代議員のうち、そのよう韓国を好きで、韓国人の情緒を理解してくれる政治指導者が少なかった。 日本の政界の戦略的な日韓関係の事務総長でもあった彼は、未来の和解と協力のための日韓関係構築に多くの心血を注いできた。 彼は韓国をまず分かってから理解する必要が韓国人の情緒にアクセスできるとしなく韓国を訪問政官界人士と親交を築いた。 日本の歴史問題や独島問題など韓日関係の葛藤の溝が深く、決して治癒することができない傷のように膿ん万行った時も、韓日関係の復元のために韓国を訪れた。 去る2008年、韓国の17代大統領選挙を控えて、日本で断然話題を集めた候補が李明博大統領だった。李大統領の出生地が日本の大阪平野区だったからである。 彼は当時、李明博候補が当選すれば、韓日関係
"イ・ジョンヒ統合進歩党候補が"高木正雄 "(朴正煕)という名前を挙げたときに突然、金大中前大統領が浮上した。 生前二人は互いに反目の時間を過ごさなければし、多分人生最大のライバルで生きてきた。 朴正煕前大統領は、長期執権のために権力を行使する独裁を続けた。 金前大統領は、陰謀と策略・家宅軟禁と拘禁などで過酷な弾圧を受けた。 産業化勢力の象徴である朴前大統領と民主化勢力の象徴である金前大統領は、皮肉なことに、日本とは切っても切れない縁がある。 日帝強制占領期間生まれた二人(朴正煕1917年、金大中1924)は、まず "日本語"に堪能である。 二人が日本語に堪能していたのは、当時、韓国語抹殺政策を広げた日本が韓国の学校でハングル教育を廃止して、日本語を強制的に使用して学ぶようにしたためである。 日本はまた、植民地統治を本格化し、民族抹殺政策を繰り広げた。その代表的なのが "創氏改名"。 韓国人の姓と名を日本式に変えるようにした。 朴前大統領の日本名は"高木正雄"。朴前大統領は1942年、日本陸軍士官学校に編入して卒業をした後、1944年に陸軍少尉に任官するまで高木正雄と呼ばれたと伝えられる。 金前大統領の日本名は "豊田大中"。 金前大統領は、日本を訪問すると木浦(モクポ)商業高等学校在学同時の担任の先生だったムクモト・イサブロウさんに電話をかけて日本語で ""先生、豊田です "と言
4日、TV大統領選挙討論は、ソウル市内の立ち飲み屋で見た。 この日、TV討論を見守っていた酒飲みたちの共通の反応は "イ・ジョンヒ、本当にまっすぐ折れるように語が上手だ" だった。 誰が見てもイ・ジョンヒは話が本当に上手かった。 経歴だけ見てもすぐ分かるような気がする。 ソウル大学法学部出身で司法試験をパスした弁護士。 顔にもスマートさがにじみ出ている。 映画の悲しい場面を見ると、鶏くそみたいな涙をぽろぽろと流せそうな大きな目、その目を覆う大きなメガネ。 最近の言葉で勉強できる典型的な模範生の顔だ。 さて、イ・ジョンヒ候補。 彼女の口から全く恐ろしい言葉があふれ出た。 失礼と毒気漂う瞳、憎悪に満ちた言葉、傍若無人の発言。 議論をしに出てきたのではなく、 "朴槿恵を落としに出てきた" という発言は、背筋が寒くまでになった。 1968年、金新朝が "朴正煕の首を取るためにきた" とした一声のように聞こえた。 それは大韓民国の政党に所属している政治家ではなく、扇動と憎しみと復讐にまみれ従北左翼主義者の姿だった。 イ・ジョンヒ式討論を見ながら、左派の会話の本質が浮かび上がった。 事実、従北左派と話術で勝利を収めた人はほとんどいない。 彼らは扇動と詭弁が話術武器でもあるが、左派の特徴を見ると、そうだというのだ。 左翼型人間群像の共通の4大特徴がある。 不利になると "しらばっくれる '、論理
"ギャルさん"の人気は冷める気がない。ギャルさんは人気ギャグ番組 "ギャグコンサート" の "メンブン(メンタル崩壊)スクール" コーナーに登場するキャラクターである。 独特の化粧と "人間ではないです" などのコメントで大きな人気を得ている。 "ギャルさん" で人気を集めているコメディアン、パク・ソンホは "アニムニダ"と "ギャルギャル" というタイトルの収録曲で、デジタルシングル "ないです(アニムニダAnimunida)"を発売した。 ゲーム内でもやはりギャルさんの猟奇的でコミカルなイメージがそのまま反映された。 あるゲームメーカーは奇妙な化粧と独特の語り口で最近高い人気を謳歌しているパク・ソンホの "ギャルさん" キャラクターまで発売した。 ギャルさんが韓国でこんなに早く大衆文化のアイコンとして登場したのはギャグコンサートのメンブンスクールに登場してからである。 視聴者たちはギャルさんの登場に拍手を打って笑って歓呼する。 "ギャル" は英語の "ガール(Girl)"を日本語で発音したもので、日本では浅黒い肌に濃い目のメイク。色とりどりの大げさに膨らみヘアスタイルを追求する女性を指して "ギャル" あるいは "ギャル族"と呼ぶ。 日本の街でよく見られるギャルスタイルは変化を繰り返しながら、その種類も多様だという。 ゴギャル、おギャル、ビギャル、姫ギャル、オネギャル、パンクギ
大阪は韓国人が最も多く訪れる都市の一つである。 李明博大統領が大阪出身という事実はみんなが知られている事実である。 そんな大阪は韓国人に対しては友好的であり、親近感が高い都市である。大阪では日本語を知らなくても買い物したり食べたり飲んだり楽しむ大きな不便はない。 レストランはもちろん、ショッピング街に並ぶ店には一軒に韓国語でされた案内板が付いている。ところでこの間訪問した大阪ショッピングやレストランには、韓国語でされた案内表記が目立つように減った。 日本から韓国への好感度がますます低下しているという傍証だ。最近、日本の内閣府が9月27日〜10月7日、全国の成人男女1838人を対象に実施した "外交に関する世論調査"で、韓国に対して "親だと感じる"との回答は39.2%で、昨年(62.2%)より23.0%ポイント下落した。 韓流の影響で急上昇した好感度が李明博大統領の独島訪問と天皇の謝罪要求発言などで触発された反韓感情的に再度10余年前の水準に後退したのだ。韓日関係の現状についても "良くない"との回答が78.8%で、昨年より42.8%ポイント増加した。 これを証明するように、最近の大阪難波にある駐大阪総領事館の前で一日が遠いといって険しいデモが行われている。 10余年大阪を訪問しましたが総領事館の前で、ほぼ毎日デモが行われる光景を見たのが初めてである。 日本の韓国領事館の前との距離
六歳の時、1933年秋、父に従って日本に渡って行った。 当時彼の父親は、静岡県熱海市の鉄道トンネル工事現場で作業員として働いた。 1945年、彼は、早稲田大学機械工学科1年生に在学中だったとき、国の独立を迎え、韓国に帰って来た。 1963年陸軍少将で予備役編入した後、1964年、朴正煕大統領の特使として日本に派遣され、生涯にわたって、日本と "切っても切れない"関係を結ぶことになる。 彼が故朴泰俊ポスコ名誉会長である。 朴前名誉会長の一生を照明するときに欠かせないのは "日本"との縁である。 朴名誉会長が日本の幕後で繰り広げた神話的物語は、日本でも広く知られるほどである。1965年に締結された韓日協定幕後の接触のために、なんと10ヶ月の間、北海道から九州まで日本列島を回った。 この過程で、日本最大の製鉄所である八幡製鉄(現、新日本製鉄)の会長であり、日本鉄鋼連盟会長だった稲山義弘社長など縁を結んだ。 朴名誉会長は、稲山社長など日本の財界の核心人物積んだ厚い親密なよしみを土台に、日本政府と鉄鋼業界を説得して1969年、浦項製鉄が日本から対日請求権の資金を引っ張って、工場を建てるのに決定的な役割をした。 日本がなければ、浦項製鉄はなかったのかもしれない。 炉を建設するお金も対日請求権資金から出たし、製鉄所の運営も、日本新日鉄から学んだのである。 両国財界の交流チャネルを構築したのも